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○こちら特撮情報局 特撮ロケ地巡り
 
 第12回 『愛の戦士 レインボーマン』第8話ほかロケ地 東京都世田谷区「砧こばと保育園跡」


第12回 『愛の戦士 レインボーマン』
第8話ほかロケ地 東京都世田谷区「砧こばと保育園跡」

特派員:奥虹
取材日:2008年3〜4月某日

 今回は『レインボーマン』第8話「ひとりぼっちの戦い」ほかの撮影で使用された(国際放映撮影所近くの)「砧こばと保育園跡」を紹介する。同園は第1クール、タケシの恋人・淑江が勤める幼稚園“どんぐり園”として使用された。第8話、どんぐり園内に侵入してきたキャッツアイ中毒の中年男性に、淑江が首を絞めつけられるシーン、駆けつけたタケシが咄嗟に背負い投げで男を叩きのめすシーンなどが撮影された。

◯『愛の戦士 レインボーマン』第8話「ひとりぼっちの戦い」あらすじ

 
  闇夜で死ね死ね団員たちのナイフ攻撃をかわしたダッシュ7(太陽の化身)であったが、目つぶしのアイパッチ攻撃に負傷し敗走する。ダッシュ6(土の化身)の“疾風土煙花の術”で一旦土中に逃れたタケシ(演.水谷邦久氏)は、さらに堀田の経営するガソリンスタンドへと逃れる。タケシは堀田(演.黒木進氏 現.小野武彦氏)から目の手当を受けながら、死ね死ね団の存在を必死で訴えるが、「被害妄想だ」と一笑に付される。その頃、死ね死ね団員たちは“おめん屋”という名のおでん屋台を出し、サラリーマンたちにキャッツアイ入りの日本酒をふるまっていた。タケシの危惧をよそに、死ね死ね団の日本人総狂人化作戦は着々と進行していたのだ。腫れた瞼で帰宅したタケシを心配し叱咤する母・たみ(演.本山可久子氏)であったが、タケシは“日本の平和”が自分の肩にかかっていることを実感し、正義の戦いへの気持ちを新たにする。「一晩に62名もの自殺者」という新聞記事を読んだタケシは、“ファッションショップK”のマッチが手がかりだと直感、淑江(演.伊藤めぐみ氏)に協力を求めようと決意。その頃淑江は、どんぐり園内に侵入してきたキャッツアイ中毒の中年男性に、首を絞めつけられていた。駆けつけたタケシは咄嗟に背負い投げで男を叩きのめすが、男は猫目のように瞳を光らせて死んだ。タケシは男がキャッツアイ中毒によって死んだことを語るが、淑江は信じようとしない。“愛する人々のための戦い”が受け入れられない現実に苦悩するタケシに、降臨したダイバダッタ(演.井上昭文氏)の魂は「己の道を信じ、貫くのだ」と諭す。一方ダイアナ(演.山吹まゆみ氏)たちは“美容ドリンクプリティ試飲会”と称し、公園で女性たちにキャッツアイ入りドリンクを配り始めていた。偶然通りかかったタケシを発見したダイアナは、女性団員に尾行を命令。罠の仕掛けられたビル工事現場に誘導されたタケシの頭上に、いま多量の鉄骨が降り注ぐ…。

◯砧こばと保育園跡(初代どんぐり園)

  
 『レインボーマン』第1クールで“どんぐり園”として撮影に使用された、世田谷区砧の私立保育園。収容園児数65名。現在は閉園している。1975年版地図総覧ではまだその園名を確認できるが、“砧こばと保育園”周辺にお住まいの方のお話によれば「20年ほど前に閉園した」ということなので、閉園時期は1970年代後半から1980年代にかけてと思われる。
 当初“砧こばと保育園”は、国際放映撮影所から徒歩2分程度の距離にあるという利便性から重宝されたようだ。しかし周辺道路の狭さから車輌通行が困難であることや、構造上のデメリット(保育園全体が高い壁で囲まれ、園外から園内を望むアングルは正門からのみ。園外からの撮影が不可能など、アングルが限定されてしまう)などの理由から台本の描写と整合しなくなり、使い難くなったと思われる。第2クール以降“どんぐり園”関連の撮影は、すべて世田谷区内の“A幼稚園”でのそれに切り替えられている。『レインボーマン』第2クールに「女性幹部・キャシーが幼稚園横にワーゲンを停め、校庭にいるマー坊を誘拐、それを同級園女児に目撃される」…という一連のシーンがある。これも車輌が通行しやすいうえ、園舍を囲む壁が低く、園内から園外を(また園内から園外を)望める“A幼稚園”ならではの利便性が重宝されたためと推測される。
 現在“砧こばと保育園”跡には、アパートや一般住宅が建ち、昔の面影を遺すものは殆どない。しかし何故か、当時の保育園正門の左石柱だけが遺され、アパート外壁の一部として存在している。

 
砧こばと保育園跡その1
画像左が“砧こばと保育園跡”。2階建てのアパートと後方の住宅までが保育園の敷地だった(画像の外壁段差辺りが、当時の保育園の正門である)。画像右の民家は『レインボーマン』撮影当時と全く変わらない。

 

十字路の右上にある和風のお屋敷も『レインボーマン』撮影当時の佇まいをそのまま残している。当時、砧こばと保育園園内には大きな柳の樹があった。
砧こばと保育園跡その2
 
砧こばと保育園跡その3
国際放映方面から“砧こばと保育園跡”(画像右のアパート辺り)を望む。
 
アパート入口から目視可能な“保育園正門の左石柱”。なぜ正門の左石柱だけが遺され、アパート外壁の一部として存在しているかは解らない。
砧こばと保育園跡その4
 
◯あとがき

 
 「第1クールと第2クールに登場する“どんぐり園”は別々の幼稚園が使われているのでは?」。6年前、そんな“目から鱗”の指摘をしてくれたのは、当“こちら特撮情報局”管理人・山本三吉氏だった。氏の指摘の裏付けを取るべく2002年秋に現地取材をした際、初代“どんぐり園”敷地はアパート建設直前で既に更地になっていたが、30数年前と変わらない周辺住宅の景色と、“保育園正門の左石柱”の存在が場所特定の決め手となった(“砧こばと保育園”に替わり、第2クール以降“どんぐり園”として使用された“A幼稚園”のレポートも既に完成しているので、いずれご覧いただこうと思う)。
 “砧こばと保育園”正門があった周辺の住民の方々の入れ替わりは、殆どないようだ。『レインボーマン』第8話、「キャッツアイに冒された中年男性が“どんぐり園”園内に侵入、タケシと一戦交えた後に死亡。その死亡原因を巡ってタケシと淑江に不協和音が生じる」…という緊迫したシーンがある。その背景、街路樹ごしに“隣接住宅の屋上に自転車で遊ぶ幼児”の姿が確認できる。当時の“こばと保育園”に隣接するお宅の方とお話しさせていただく機会を得たが、「当時、息子はよく屋上で自転車で遊んでいました」との由。当該シーンのことをお教えしたところ、婦人の驚きながらも懐かしそうにしていらした姿が印象的だった。
 初代“どんぐり園”は“保育園正門の左石柱”を遺し跡形もなくなってしまったが、『レインボーマン』映像のなかに、当時の園児たちの息づかいまでもが感じられるようで興味深い。